シリアでイスラム系組織の拘束され、約3年ぶりに解放されたフリー・ジャーナリストの安田純平氏の「自己責任」論について、有名人をも巻き込んで大きな議論となっています。
自己責任が及ぶ範囲が問題となりますが、安田氏はすでに自己責任は果たした、いや、果たさざるを得なかった、と言えると考えています。
しかしながら、今後、安田氏は自らとった行動についての説明責任を果たすことが強く求められますし、個人的にはとても注目していきたいと思っています。
自己責任の一般論
まず最初に断っておきますが、私は安田純平氏に対してあまり良い感情は持っていません。その理由を述べることは本論からずれてしまうので割愛しますが、そうした個人的感情を抜きにして冷静に議論したいと思っています。
さて、自己責任についてです。ここで、窃盗事件が頻繁に起こっている地域があり、警察が盛んに戸締まりなどの注意を呼びかけていたにもかかわらず、窓の鍵をかけ忘れて外出して空き巣に入られ、家の中の貴重品が窃盗にあったケースを考えます。
まず、窃盗にあった家の住人の自己責任の内容はどのようなものでしょうか。それは、家の中にあった貴重品が持ち去られ、換金されたり、消費されてしまって、取り戻すことが不可能になる危険性が発生することです。
そして、ここで大切なポイントは、窃盗にあった住人の自己責任を理由に、警察官の職務怠慢が正当化されたり、捜査費用の負担を求めたりすることはなく、また、窃盗犯の刑罰が軽減されたりするわけではないということです。
つまり、注意せよと言われていたのに戸締まりを怠ったために貴重品を盗まれてしまったことが、この住人の自己責任の及ぶ範囲だということです。
安田純平氏の自己責任
安田純平氏は過去にも数回にわたって拘束されており、日本政府も危険地帯への渡航を制止していたにもかかわらずシリアに渡り、イスラム系武装組織に拘束され、多額の身代金を要求されました。
今回の安田氏の場合の自己責任が及ぶ範囲はどこまででしょうか。一般論をあてはめると、日本政府の制止を振り切ってシリアに入り、武装組織に拘束され、人質として約3年もの間、「地獄のような生活」(安田氏の言葉)を強いられたこと、になります。
そして、安田氏の自己責任を理由に、救出に要した費用やカタールが肩代わりしたとされる身代金の負担を求めることはなく、シリアの武装組織の罪の重さが軽減されることはないのは、前段の一般論の通りです。
つまり、日本政府の制止を振り切ってシリアに行った結果、「地獄のような」人質生活を3年間もさせられたこと、(安田氏本人が悔しがっている)取材用のカメラなどの所持品がが没収されたことが、安田氏の自己責任の及ぶ範囲だということですので、すでに自己責任は果たしている、いや、果たさざるを得なかったと言えるでしょう。
人質解放に向けた努力は政府の責務
主にネット上では、安田氏解放に向けた努力を政府が行った際の費用などを負担させるべきだとの意見が多く見られます。
こうした費用の負担を求めることは、安田氏の自己責任の及ぶ範囲ではないことはすでに述べました。
日本にある省庁はすべて、設置法が存在の根拠となっています。「~という責務を果たすために○○省を設置する」という法律です。
今回の場合は外務省設置法になります。同法第4条第9号に、「海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること」とあります。
つまり、海外において日本人を守ることは外務省が設置されている理由でもあるのです。したがって、政府批判をする人であろうと、非社会的勢力の親分だろうと、日本人である限り、その保護に全力を尽くすことが政府としての責務ということになります。
要は、政府の解放に向けた努力は、安田氏の自己責任の議論の枠外ということになるわけです。
安田純平氏の道徳的責任
安田氏が自己責任を果たしたとするならば、もう果たすべき責任はないのでしょうか。
ネット上では「まずは謝れ」的な意見が多いです。解放に向けて多くの人々、組織が動いたのだから、まずは謝るべきだと。「高須クリニック」の高須克弥氏にいたっては、「まず『恥ずかしながら』と謝りなさい」と言っています。
まあ、謝らないより謝った方がいいに決まっていますし、それは礼儀作法のようなもので、謝罪したからといって何がどうなるわけでもありません。
ただ、安田氏が「日本政府が動いて解放されたかのように思う人がおそらくいるんじゃないかと。望まない解放のされ方だった」と述べていますが、これは論外。
日本政府が動いたのは事実だし、カタールやトルコも仲介をしてくれたのも事実。この点についての感謝の言葉くらい発しないと、人間性が疑われます。ニュースキャスターの安藤優子氏も「安田さんの言葉でおっしゃるべきことなのかな」と苦言を呈しています。
果たすべきは説明責任
今後、安田氏が果たすべきなのは説明責任です。道徳的責任よりずっと重要です。
ネット上には安田氏を擁護する意見も多く見られます。中でも秀逸だったのは、メジャーリーガーのダルビッシュ有選手。
「危険な地域に行って拘束されたのなら自業自得だ!と言っている人たちにはルワンダで起きたことをよく勉強してみてください。誰も来ないとどうなるかということがよくわかります」と1994年のルワンダ大虐殺を例にあげてい持論を述べていました。
ダルビッシュ選手のみならず安田氏擁護論の中心は、ジャーナリストの使命とでも言うべきものです。
ジャーナリストが危険を顧みず紛争地帯に取材に入り、そこで起こっている凄惨な出来事を世界に伝え、そのことで国際社会が改善に動き出した例はいくらでもあります。だからこそ、外国の中には拘束されたジャーナリストを英雄視するわけです。
安田氏も、内戦状況にあるシリアで起きていることを世界に伝えたいとの思いがあったのでしょうし、そのことは十分に理解はできます。
それでは、無理してシリアに入って、どのような成果があったのか、世界に伝えなければならない内容とは何なのか、が次に問われてきます。つまり、説明責任です。
安田氏の伝える内容・成果が、もし「悲惨な人質生活の実態」でだったら笑止千万。もう何度も人質になっているのに、今回の内容も人質になったことしかないのであれば、ジャーナリスト失格の烙印を押されても仕方ないでしょう。
今は静養に努めてもらい、健康が回復されたら、早急に説明責任を果たしてほしいと思います。安田氏が何を伝えるのか。個人的にとても注目しています。
以上、『解放された安田純平氏が果たすべきは「自己責任」ではなく「説明責任」だ。』でした。
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