東京拘置所
大島渚監督の映画『絞死刑』を観る機会がありました。この映画は、死刑執行後も絶命しなかった青年を主人公にして死刑制度や在日外国人の問題を描いたものです。
絞首刑で死ななかったという設定には驚き、映画ですからフィクションであることは十分に承知の上で、あの麻原彰晃に死刑が執行されたこともあって、改めて、死刑執行でも死なないことはあるのかを調べてみました。
映画『絞死刑』(大島渚監督)
『絞死刑(こうしけい)』は1968年公開の大島渚監督作品です。
主人公の在日朝鮮人Rは強姦致死の罪で絞首刑に処せられました。しかし、Rは刑の執行後も絶命せず、刑のショックで記憶をなくし、心神喪失状態になってしまいます。
刑事訴訟法第479条は、「死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態にある時は、法務大臣の命令によって執行を停止する」としているため、刑務官たちは再執行のためにRに記憶と罪の意識を取り戻させようと躍起になります。
忠実に再現したという当時の死刑場を舞台に延々と続くやりとりは、佐藤慶や渡辺文雄、小松方正、小山明子らが名優ぶりを発揮したこともあって、死刑制度の根本的な問題から在日外国人の差別の問題、さらには貧困を背景とした犯罪心理を鋭く描いていました。
そこで、やはり気になるのが、そもそもの設定、すなわち、死刑が執行されても死なないという点です。映画ですからフィクションであることは十分に承知の上で調べてみると、日本にも1例だけ、死刑執行でも死ななかったという記録が残されていました。
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石鐵県死刑囚蘇生事件
1872年(明治5年)、石鐵県(いすづちけん)久米郡(現在の愛媛県東温市)の農民・田中藤作は一揆の際に放火したとして死刑を宣告されました。
死刑執行後、親族が遺体を引き取り、棺桶に入れて運んでいる途中にうめき声が聞こえたため、ふたを開けたところ、藤作が蘇生していたといいます。
親族は石鐵県庁に蘇生したという事実を届け出て指示を仰ぎました。翌年の1873年、県庁経由での中央政府の指示は「スデニ絞罪処刑後蘇生ス、マタ論ずベキナシ。直チニ本本籍ニ編入スベシ」というものでした。
つまり、生き返ったとしても既に法に従って刑罰としての執行は終わっている以上、再び執行する理由はない、よって戸籍を回復させよということです。
当時は「石鐵県死刑囚蘇生事件」と言われて、大きな話題となったようです。
また、現代においてもこの事件は多くの小説など作品のモチーフに使われています。
太田蘭三の小説『白の処刑』は、えん罪で死刑判決を受けた死刑囚が、レスリングで鍛えた首のおかげで執行後に生き返り、釈放されて真犯人を追うというものです。小説の中で、法務省の官僚が釈放する根拠の前例としてあげているのが、石鐵県死刑囚蘇生事件でした。
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死刑執行で死なないことはない
石鐵県死刑囚蘇生事件や同事件をモチーフにした小説などの影響か、「今も、死ななかった死刑囚が釈放されている」という都市伝説まがいの話があります。
実際、生き返って釈放されるために必死に首を鍛えていた死刑囚が数多くいたそうです。
石鐵県死刑囚蘇生事件当時の絞首刑は、現在の死刑囚の体重を利用した落下式とは異なり、首に巻いた縄の先に石を吊り下げ、その重さで窒息死させるという方法でした。この方法だと、即死できずに少なくとも5秒以上は意識が残ることが医学的に実証されています。
現在では、前述のように死刑囚の体重を利用した落下式となっています。そして、実際に死刑執行に立ち会った元検察官の証言によると、死刑執行された囚人の身体は30分間はぶら下がったままにしておくのが通例となっているとのことです。
30分間もぶら下がったままでは確実に死亡します。万が一にも生き返ることはありません。蘇生の可能性はゼロということです。
おわりに
石鐵県死刑囚蘇生事件で中央政府が参考にしたのは、革命前のフランスでは絞首刑で稀に生き返る死刑囚がいて、国王が釈放していた事例です。
しかし、これは18世紀の話。石鐵県死刑囚蘇生事件も19世紀の話。いずれにしても、遠く昔の話ですが、それだけに都市伝説として語られていくのかもしれません。
以上、『映画『絞死刑』(大島渚監督)を観た。死刑執行でも死なないことがある?』でした。