先日、「近江商人の経営哲学」というタイトルの講演を聞きました。
近江商人といえば、「三方良し」の精神が知られていますが、これだけ立派な商人が滋賀県という特定の地域から集中して出ているとは驚きでした。
そもそも近江商人のルーツはどこにあるのでしょうか?
調べてみると、近江商人のルーツには武士を起源とする武士説や農民説、忍者説まであるようです。
《近江商人とは?》
大坂商人、伊勢商人と並んで三大商人の1つに数えられる近江商人。
「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の「三方良し」の精神は、近江商人の家訓として有名です。
あらためて、近江商人を定義づけると「行商を原点として信用と資本を蓄え、全国各地に店舗を構えた近江出身の商人」ということになります。
近江は現在の滋賀県ですが、全域からまんべんなく商人が生まれたというわけではなく。商人を多く輩出した地域は特定のところに集中しており、それぞれ高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人と呼ばれています。
一方、商売で成功すればやっかみも出てくるわけで、江戸の商人や同業者からは「近江商人が通った後はペンペン草も生えない」「近江泥棒伊勢乞食」と蔑まれることもありました。
《近江商人の流れをくむ企業》
近江商人の講演で一番驚いたのは、今日、日本を代表する大企業で、近江商人の流れをくむ企業が多いことです。一流デパートの『高島屋』は、ズバリ、高島商人から来ていたのですね。
近江商人の流れをくむ主な企業
- 大丸
- 高島屋(高島郡出身の商人飯田儀兵衛の婿養子である飯田新七が創業。社名は高島郡に由来)
- 白木屋(長浜出身の大村彦太郎が創業。1967年に東急百貨店に吸収)
- 三中井百貨店(神崎郡出身の中江勝次郎が創業。1945年の終戦とともに消滅)
- 藤崎(創業者藤﨑治右衛門は日野出身との説がある)
- 山形屋(近江商人の血を引く羽前庄内出身の源衛門が創業)
- 西武鉄道、西武グループ、セゾングループ(愛知郡出身の堤康次郎が創業)
商社
- 伊藤忠商事・丸紅(犬上郡出身の伊藤忠兵衛が創業)
- 住友財閥(初代総理事広瀬宰平は野洲郡出身、2代目伊庭貞剛は蒲生郡出身)
- 双日母体となる 日商岩井、ニチメンとも、近江商人の流れを汲む。
- トーメン(彦根出身の児玉一造が中心となって創業)
- 兼松(前身の一つである江商は、犬上郡出身の北川与一が創業)
- ヤンマー(伊香郡出身の山岡孫吉が創業)
繊維関係
- 日清紡
- 東洋紡(前身の一つである金巾製織は、滋賀県知事の勧奨から複数の近江商人が創業)
- 東レ
- ワコール(仙台出身神崎郡育ちの塚本幸一が創業。社名は「江州に和す」に由来)
- 西川産業(八幡出身の西川仁右衛門が創業)
その他
《近江商人のルーツ》
これだけの立派な商人が、近江・滋賀県という特定の地域から集中して出るというのは、とても不思議に思います。ふってわいたように商人が誕生するわけはなく、何か歴史的にルーツとなるものがあるはずです。
近江商人のルーツには、諸説いろいろあるようですので、いくつかをご紹介します。
「武士説」
京の都にも近く、東山道や東海道などの主要街道が通り近江は古くから交通の要衝でした。そのため、戦国時代は多くの武将が割拠しました。
その最たる例が織田信長で、近江の中ほどに位置する安土を天下統一の拠点としました。有名な楽市楽座によって商人を手厚く保護し、全国から商人が集まりました。
信長が倒れ、安土城が落城し、行き場を失った家臣たちが生き延びるために商人化したとする説です。
信長の楽市楽座で集まった商人がもともといましたから、武士を廃業しても、身近にお手本がいたため、転職には有利だったのかもしれません。
ただ、財をなした商人は往々にして、「自分は源氏の流れで・・・」と言いたがるものですが・・・。今のところ、最も有力な説と思われます。
「農民説」
近江・滋賀県は今日も近江米の産地と知られています。
戦国武将が多く割拠したのも、交通の要衝であったことに加え、米の産地として豊かな地域であったことがあげられます。
今でこそ兼業農家が主になっていますが、戦前までは専業農家が多く、いわゆる豪農も多数存在していました。
幕末に井伊直弼を輩出した彦根藩は、農民が商売を行うことを許可していたため、豪農の中から商売に手を広げ、やがて商売一本に絞って成功していったとする説です。
豪農たちは、楽市楽座の商人たちとも交流があったはずですから、商売の手ほどきを受けることは簡単だったでしょう。加えて、江戸幕府の譜代大名筆頭格の彦根藩の許可を得ていれば、随分と商売もはかどったと推測されます。これも有力な説を思われます。
「忍者説」
江戸時代、自分の居住している藩から一歩外に出るには死を覚悟したといいます。近江商人の原点は行商ですが、簡単に全国を歩いて回るには、よほど安全網がないと無理な話です。
また、商売は今も昔も情報戦です。全国各地の情報がすばやく正確に近江商人の元に集まるシステムがあったればこそ、他の商人たちの先を行くことが出来ました。
全国各地に身の安全を確保する拠点があり、かつ、情報が的確に集まるシステム。そう、こうした能力を持っていたのは忍者しかありませんという説です。
確かに、近江には伊賀忍者に並ぶもう1つの勢力である甲賀忍者がいます。甲賀忍者が近江商人に変身して全国を飛び回ったというのは時代小説としては面白いですが・・・。こんなにたくさん忍者が活動すれば、隠密という任務を遂行できません。
「比叡山延暦寺説」
中世の近江は、特に湖東地域で多くの市や座が設けられ、その大元締めは比叡山延暦寺でした。
その延暦寺が商売をする者に特権を与えたために、その特権の利権にあずかろうと多くの商人が生まれたとする説です。
近江商人の特徴として、神仏への信仰が篤かったことがあげられます。成功した近江商人が私財を神社仏閣に寄付した事例は多く残っているようですので、延暦寺とはギブアンドテークの関係が築けたのかもしれません。
「渡来人影響説」
直接のルーツの話ではないのですが、近江は古来から朝鮮半島経由の渡来人(外国人)の移住が多くありました。湖東地域には、「百済寺」という「百済」から渡って来た人由来の寺院が現存しています。
近江商人は全国を行商するばかりでなく、御朱印船貿易で遠くベトナムまで足をのばした商人もいました。
こういう世界規模の発想と行動力は、渡来人のDNAを受け継いでいるからに違いないという説です。
本記事で参考にした本はこちら↓
《まとめ》
おそらく、武士からの転業と農民からの転業とが混じり合って形成されていったのが、近江商人のルーツとなるのでしょう。
いずれにしても、何度も言いますが、これだけの商才のある人材が特定の地域から輩出されたというのは、7不思議の1つに数えられてもいいのではないかと思います。
以上、『近江商人のルーツは武士?農民?忍者?それとも・・・』でした。