今や頻繁に目にする子どもへの虐待のニュース。
いろいろとその原因が語られますが、時代背景というものも影響しているのでしょうか。
明治時代初期、外国から日本は「子どもの天国」と言われました。外国人が見た明治時代の日本の家族をご紹介します。
明治初期に来日した外国人が驚くのは、女性の行水と並んで子どもへの愛情でした。東北地方を旅行したイザベラ・バードは、著書『イザベラ・バードの日本紀行』でこう書いています。
うるさい子どもや聞き分けのない子どもはひとりも見たことがありません。(イギリスの母親のように)脅したり、おだてたりして子どもにいやいやいうことを聞かせる方法は、ここにはないようです。
(たとえ貧しくても)人々は家庭生活を楽しんでいて、子どもが家族を引きつけています。
こうした本が多く欧米で出版された影響もあり、日本は「子どもの天国」という言い方がなされました。
これは小家族が一般的だったことと結びついています。江戸時代後期からの平均家族数は、だいたい4~5人で、江戸麹町の家主も夫婦に子ども2人が大半だったといわれています。
小家族ゆえに子どもが大切にされたといえるかもしれません。しかも、江戸末期の堕胎・間引きは貧困が理由とは一概に言えず、少ない「子宝」を大事に育てたいと願う家族の決断であったことが、最近の研究で明らかにされています。
さらに、下層武士を含めて父親が積極的に育児にかかわっていました。というよりも、子育てのレベルを超えて、大の男が子どもの遊びに夢中になっていました。
玩具を売っている店には感嘆した。たかが子どもを楽しませるのに、どうしてこんなに知恵や創意工夫、美的感覚、知識を費やすのだろう。・・・答えは簡単だった。この国では、暇なときはみんな子どものように遊んで楽しむのだという。私は、祖父、父、息子の3世代が凧を揚げるのに夢中になっているのを見た。
ヒューブナー『オーストリア外交官の明治維新』
大人と子どもの境目がなくなれば、子どもを大人の世界から排除する発想は出てきません。
子どもは家業の手伝いや子守をさせられるだけでなく、芝居小屋にも連れていかれました。そうしたなかで、いつもと違う親の一面や社会のしきたりを肌で感じるわけです。
小学生が「煙草を吹かし」(『時事新報』)、商家の娘は三味線・浄瑠璃などの芸事が嫁入り修行の必須科目でもありました。しかも、「毎日稽古から帰れば・・・親兄弟の前で男を口説く言種を歌い、親はまじめくさって褒めていた」(『読売新聞』)。
「子どもの天国」とは、小家族を基礎にした庶民のこのような暮らしの一端をだったのでしょう。
しかし、やがて近代化に突き進むにつれて、子どもは大人と異なる独自の存在であるとされだしました。愛情と保護の対象であることは変わりませんが、「一人前の大人」にするには厳しい教育が必要だと考えられるようになりました。
「富国強兵」「殖産興業」のスローガンのもと、大人と子どものありようが少しずつ変化していったようです。
(了)