野球王国大阪を支えるボーイズリーグと「プロ野球気分」

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第100回記念となった全国高校野球選手権大会は、大阪桐蔭が他を寄せ付けない強さを発揮して優勝しました。

 

「可愛げがない」「憎らしいほど強い」と言われることもある大阪桐蔭ですが、2度目の春夏連覇は前人未踏の領域です。

 

一方、その大阪桐蔭に勝てるのはどこかとファンの間で話題にのぼります。大方の見方は、履正社。これも大阪の高校です。

 

大阪桐蔭の最大のライバルが大阪の履正社というわけです。まさに、野球王国大阪といった感がある昨今ですが、それを支えるのは何かを探ってみました。

 

 

 

昔から大阪は野球王国だった

そもそも今の高校野球の前身である全国中等野球大会が関西で始まり、後に甲子園球場になっていったのでしょうか。

 

この大会を主催した朝日新聞社の本社が大阪にあったこともありますが、当時の中等野球が関東より関西で人気があり、強い学校も関西に集中していたことがあげられます。

 

古くは浪華商に始まり、、浪商やPL学園といった強豪校が出てきた大阪府。夏の甲子園大会の優勝回数は13回で、2位の愛知県の8回を大きく引き離しています。

 

愛知県の優勝回数のうち5回は戦前の大会であるのに対し、大阪府は戦後だけで13回の優勝を飾っています。

 

まさに、戦後の高校野球においては名実ともに王国の名にふさわしい実績を示してきています。

 

 

野球王国大阪を支えるボーイズリーグ

野球王国大阪の土台を支えているのは「ボーイズリーグ」と言われる小中学生の硬式野球リーグです。

 

このボーイズリーグの数の多さとレベルの高さは他の地域を圧倒しています。中学生の硬式野球全国大会として、読売新聞社などが主催する「ジャイアンツカップ」がありますが、過去10年間で4回も大阪のチームが優勝しています。

 

また、甲子園の常連校である熊本県の秀岳館高校は、大阪府枚方市の「枚方ボーイズ」の監督を長らく務めた人が、選手ごと熊本に移って始めたチームとして有名になりました。

 

秀岳館は熊本県代表という名の大阪のチームとも批判半分で言われましたが、それほど、中学野球のレベルが高いということでしょう。

 

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野球王国を支える「プロ野球気分」

しかし、強豪ボーイズリーグの存在だけでは大阪の強さは説明できません。東京にも調布シニア、武蔵府中シニアといったプロ野球選手も輩出した名門・強豪チームが多くあります。

 

全国のボーイズリーグを取材しているライターの記事を読むと、共通しているのは東京と大阪の雰囲気の違いです。東京のチームは、練習風景をみても限りなく高校野球に近いものを感じる一方、大阪のチームは「プロ野球気分」の風情があるといいます。

 

つまり、東京のチームは「ミニ高校野球」、大阪は「街のプロ野球」というわけです。

 

練習グラウンドを無償提供し、試合となったら仕事を捨てて応援に駆けつける「野球好きのおっちゃん」はどこにでもいそうなものですが、私財を投げ出して物心両面で「野球好きのおっちゃん」が運営しているチームが数多く存在するのは大阪ならではでしょう。

 

プロ野球チームにはオーナーがいるように、物心両面で運営している「おっちゃん」がボーイズチームの『代表』となり、子どもたちや保護者からそう呼ばれ、「金も出すけど口も出す」と言ってはばからないタニマチがいるのは大阪くらいなものでしょう。

 

そうした「プロ野球気分」のなかで育った子どもたちにも、その気分は植え付けられていくのも当然です。

 

プロ野球日本ハムの清宮幸太郎の高校時代に通算ホームラン数が話題となりましたが、当時、その清宮を超える逸材と言われていたのは履正社の安田尚憲(現・千葉ロッテマリーンズ)でした。

 

安田は、「プロでは金属バットは使えないから」と練習では木製バットを使い続け、先を見据えた取り組みをしていました。その安田は、大阪大会で大阪桐蔭に敗れた後、チームメイトと健闘を称え合いましたが、そこには涙はありませんでした。

 

また、2度目の春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭の藤原恭大は、決勝戦の翌日、1人でバッティングセンターに行き、黙々と100球ほど打ち込んだと報じられています。

 

高校野球で終わりではない大阪。終わりではないけど、終わってもいいと思っている東京をはじめ他の地方。こうした気分が野球王国大阪の強さの土台をなしているのかもしれません。

 

以上、『野球王国大阪を支えるボーイズリーグと「プロ野球気分」』でした。