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休刊した『新潮45』の編集長は、雑誌『ムー』の編集部時代にオウム真理教を擁護していた!

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性的少数者への差別的表現などで批判を受けていた月刊誌『新潮45』が休刊となりました。

 

きっかけとなったのは安倍チルドレンの国会議員の論文、そして批判に対する反論でした。

 

月刊誌の内容は編集長が絶大な権限を持っているものですので、『新潮45』の編集長について調べてみたところ、オカルト系雑誌の『ムー』の編集部に在籍したことがあり、何とあのオウム真理教を擁護していることがわかりました。

 

 

『新潮45』が休刊

『新潮45』は、LGBTなど性的少数者を「生産性がない」と差別的に批判した杉田水脈衆議院議員の論文を掲載して、世間の大きな反発を受けて大炎上。

 

これに味をしめたのか、次号では「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題し、世間の反発に対抗する形で杉田論文を擁護する特集をし、またもや大炎上。

 

これには同誌に寄稿していた有識者はもちろん、新潮社内からも猛反発を受ける結果となり、「深い反省の思いを込めて休刊を決断した」ということになりました。

 

ネットのサイトならいざ知らず、新潮社といえば歴史と伝統のある由緒ある出版社。そこが出している月刊誌が、子どもじみた「見え見え」の対応をするに及んで、「地に落ちた」と感じたのは私だけではないでしょう。

 

そもそも、月刊誌は編集長が絶大な権限を握っているといわれています。『新潮45』の一連の問題記事についても、編集長の独断で決められたと言われています。ですから、同誌の若杉良作編集長の見識が問われて当然です。

 

 

『新潮45』若杉良作編集長は『ムー』の編集部に在籍

『新潮45』の若杉良作編集長は、新潮社の前には学研に勤めていました。そして、学研時代には、オカルト系雑誌『ムー』の編集部に在籍していました。

 

『ムー』は「世界の謎と不思議に挑戦するスーパーミステリーマガジン」と自称する月刊誌で、1979年に学習研究社(現・学研ホールディングス)より創刊されました。

 

主な内容としては、UFOや異星人、超能力、UMA、怪奇現象、超古代文明、超科学、陰謀論などのオカルト全般です。『ムー』という名称は、一部の超古代文明論者から、かつて太平洋上に存在したと主張される「ムー大陸」からつけられています。

 

ちなみに、福山雅治や木村拓哉、釈由美子、ラッシャー板前、上島竜平など芸能人の愛読者が多いことでも知られています。

 

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書店で見かけた方もおられるでしょう。正直なところ、この雑誌、嫌いではありません。何といっても飲み会などの雑談の「小ネタ」にはぴったりなのです。「聖徳太子はイエス・キリストの生まれ変わり」という話を飲み会ですれば、大ウケします。

 

でも、それだけのことです。「よくもまあ、こんな事を考えつくなあ」と感心することはあっても、興味本位の非科学的・非現実的な内容ばかりであることに変わりはありません。

 

 

『ムー』編集部時代にオウム真理教を擁護

「聖徳太子はキリストの生まれ変わり」「UFOが襲来」という記事を雑誌に掲載すること自体は問題ありません。言論・出版の自由というやつです。

 

しかし、その記事によって人生を大きく狂わせられた人がいたり、ましてや、社会に大きな害悪をふりまいた場合は話は別です。

 

オウム真理教がまだその本性を現さずに活動していた1990年代、『ムー』は教祖・麻原彰晃を持ち上げた記事を盛んに掲載していました。

 

『ムー』は、麻原彰晃の単なる座ったままのジャンプの連続写真を掲載。これを奇跡の「空中浮遊」として信じ込んだ読者が、オウム真理教に入信する事態を招くことになりました。

 

実際、オウム真理教幹部には上祐史浩をはじめ、『ムー』を通して麻原彰晃を知った者がたくさんいたのです。

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出典 blog-imgs-27.fc2.com

若杉良作・『新潮45』編集長が、実際にオウム真理教・麻原彰晃に関する記事を書いたのかは明らかではありません。

 

ただ、『ムー』の取材でオウムの合宿所を複数人で訪れた際、「深部を探求したい」と自分一人だけ残って信者らと共に夜を明かしたというエピソードが伝えられています。少なくとも、オウムを肯定的に取り上げる誌面づくりに積極的に関わっていたことは事実でしょう。

 

麻原彰晃の単なるジャンプをトリックとして否定することなく掲載し、結果的に麻原が最終解脱者だと勘違いさせる誌面づくりについて、『ムー』は説明・謝罪を行わないまま現在に至っています。

 

 

『ムー』から新潮へ転籍

若杉良作氏は『ムー』の学研を退職し、新潮社へと転籍します。ここからの経緯について、雑誌『選択』から引用します。

 

1993年に『週刊新潮』に転籍したが、翌年にはオウム事件が弾け、編集部内で「スパイでは」と疑われて干される身に。数年で『新潮45』に異動して以降は「他部署に引き受け手がないから、ずっと塩漬け」(新潮社員)にされてきた。

異例の「長期在籍」を見込まれてか、前任編集長の三重博一氏から2016年に後継指名されると、部数はみるみる降下し「7千部を切りそうなくらい」(同前)にまで低迷。問題の10月号は「特需」となり配本した1万4千部が早々に完売となったという。ただ、社内からさすがに増刷の声は出なかったようだ。 

 

 減り続ける部数と利益。このまま座して死を待つくらいなら、どんなことをしてでも1冊でも多く売ってやる。

 

こういうことになれば、もう手段を選んでいる場合ではなくなります。その時、古巣の『ムー』で培った手法が頭に浮かび・・・。これはあくまで私の想像です。

 

いずれに、論壇誌として名声の高かった『新潮45』が、「ヘイト雑誌」「ネトウヨ雑誌」のレッテルを貼られたまま廃刊となってしまっては、かつての名だたる執筆陣が泣こうというものです。

 

以上、『休刊した『新潮45』の編集長は、雑誌『ムー』の編集部時代にオウム真理教を擁護していた!』でした。