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私の友人を殺した麻原彰晃らに死刑が執行される。彼らは罪を償ったのか?

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一連のオウム真理教事件をめぐり、死刑が確定していた教祖の麻原彰晃らの死刑が執行されました。

 

実は、私の大学時代の友人が松本サリン事件の犠牲者となり、生命を奪われました。麻原彰晃らに殺されたのです。

 

死刑執行は当然のことと思いながらも、一方で、これで彼らは罪を償ったということになるのかとの疑問もあり、今、複雑な心境になっています。

  

 

麻原彰晃らの死刑が執行される

松本・地下鉄両サリン事件などで計29人の犠牲者を出した一連のオウム真理教事件で、死刑が確定していた教祖の麻原彰晃らの死刑が2018年7月6日に執行されました。

 

オウム真理教事件での死刑囚は計13人。麻原以外の6人も同日に執行されたとのことでです。

 

7人が1日で執行されるのは戦後最大規模。戦前には共産主義者が弾圧された大逆事件で1911年、12人に死刑が執行された例がありますが、法務省が執行を公表するようになった1998年以降は4人が最多でした。

 

死刑執行の刑場が1つという東京拘置所では、午前中だけで麻原ら3人が立て続けに執行されたことになります。

 

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私の友人を殺した麻原彰晃

一連のオウム真理教事件の中に、松本サリン事件があります。1994年6月27日、長野県松本市において、オウム真理教信者が神経ガスのサリンを散布したもので、8人の死亡者が出ました。

 

その死亡した8人のなかに、当時、信州大学医学部の学生だった私の友人(Yさんと呼ぶことにします)が含まれていました。そうです、私の友人Yさんは麻原彰晃に殺されたのです。

 

Yさんとは早稲田大学で知り合いました。フランス語の同じクラスになり、よく話すようになりました。私はサークル活動に夢中になりましたが、Yさんは勉強家でフランス語はめきめき上達していったことを覚えています。

 

4年生になり、就職活動を始めました。当時はバブルの絶頂期。会社訪問すれば即、「内定」が出る会社があるくらいの状況でした。

 

私はその流れに素直に従って深く考えもせず、某企業に内定をもらいました。ただ、Yさんはいっこうに就職活動を始める気配がありませんでした。「自分の将来を真剣に考えている」と言うのです。

 

そして、Yさんの下した結論は「医者になる」というものでした。早稲田大学はそのまま卒業し、1年間受験勉強をして、信州大学医学部をめざすというのです。とても驚きましたが、その時は「頑張れ」としか言いようがなかったのを覚えています。

 

早稲田大学卒業後、私は就職しましたが、1年後にYさんは信州大学医学部に合格し、晴れて医学生となって張り切っているという噂を耳にすることができ、喜んでいました。

 

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そして、次にYさんの話を耳にしたのが松本サリン事件。亡くなった8人のうちの1人がYさんと聞いた時は本当にショックでした。

 

仕事の関係でどうしても葬儀に参列することができず、遠くから手を合わせるのみでしたが、怒りがこみ上げてきてどうしようもありませんでした。

 

地元メディアの報道によると、Yさんは窓を開けて自宅でくつろいでいる最中に体調の異変に気づき、鏡を見ると自分の瞳孔が縮瞳しており、そのことを死の直前に大学の担当教授に連絡してきたそうです。

 

医学生としてしっかり勉強を重ねてきたことを感じる話です。当時は6年生で、半年後には医師としての道を歩み始めるはずでした。

 

 

麻原らは罪を償ったのか?

医者としての道を歩み始めようとしていた若者の夢を一瞬にして奪い去った麻原彰晃らオウム真理教。

 

彼らの犯した罪に相当する刑罰は死刑以外にありえないと思います。世が世なら、「市中引き回しの上、獄門打ち首」でも足りないくらいです。

 

ネット上の意見も私と同様のものが大半です。でも、ふと思うのです。「憎き麻原彰晃を死刑にしてすっきりした」ひいては「ざまあーみろ」のように、そこには「見せしめ」「懲らしめ」「報復」の感情しかないのではないか、と。それでは、某国で国家反逆罪で公開処刑される現場に集まる群衆と同じではないかと。

 

被害者や被害者の遺族は「麻原らが息をしているだけでも耐えられないはず」だから、「懲らしめ」「報復」の感情を持ってもおかしくはないという意見もあるでしょう。

 

被害者感情を共有化することが無意味だとは言いません。ただ、被害者感情の共有化と被害者感情そのものとは違うのではないかと思うのです。

 

実際、Yさんの母親は地元紙の取材にこう述べています。

 

今朝のニュースで死刑執行を知りましたが、すごく動揺して事件当時のことを思い出し、号泣しました。

いずれ死刑が執行されるとはわかっていましたが、事件の全容が解明されなくなり喪失感も感じました。なぜ、我が子が死ななければならなかったのか、子どもに対して「ごめんね」という気持ちでいっぱいです。

 

「我が子を殺したのだから、あいつも死ななければならない」的な感情でないことは明らかでしょう。

 

現行の法制度では、麻原らは死をもって罪を償ったことになります。しかし、被害者感情からすれば釈然としないことも事実なのです。

 

 

おわりに

何だか支離滅裂な文章になってしまいました。

 

言いたいのは、麻原彰晃らの死刑執行は当然だが、それで罪を償ったと言われれば釈然としない。ではどうすれば良かったのかと聞かれれば答は思い浮かばない。ということです。

 

いずれにしても、麻原彰晃らの逮捕から23年。戦後の犯罪史上類を見ない一連の事件は大きな節目を迎えたことは確かです。

 

Yさん、どうか安らかに。

 

以上、『私の友人を殺した麻原彰晃らに死刑が執行される。彼らは罪を償ったのか?』でした。