希望の党公認候補『我が敗戦記』(5)選挙後の民進党

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選挙結果は落選であった。比例での復活もほんの少し期待したもの、かなわなかった。

 

これまでの活動、あの時の判断、いずれも悔いはない。ただ、安倍政治の暴走にストップをかけるどころか、加速させてしまう結果となったのは無念である。

 

「立憲民主党から出ていれば当選できたのに・・・」「無所属なら・・・」

 

すべて結果がわかってからの物言いに過ぎない。2017年9月28日での判断は、民進党の党議決定に従って希望の党から出るか、党議決定に逆らって無所属で出るか、であった。

 

もちろん、無所属での出馬という選択は形の上ではありえた。しかし、新人候補が無所属で出るなど、雲を持つかむ話であり、現実的ではなかった。

 

確認のため、2017年9月28日の民進党の党議決定の文書を示しておく。

 

   総選挙の対応について

  1. 今回の総選挙における民進党の公認内定は取り消す。
  2. 民進党の立候補予定者は「希望の党」に公認を申請することとし、「希望の党」との交渉及び当分の間の党務については代表に一任する。
  3. 民進党は今回の総選挙に候補者を擁立せず、「希望の党」を全力で支援する。

 

前原誠司・民進党代表(当時)の決断は、あの選択しかなかったのだと思う。「座して死を待つよりも・・・」という心境か。

 

ただ、結果は惨憺たるものである以上、あの判断は「誤り」であったということになる。

 

残念だったのは、選挙後に開催された民進党両院議員総会である。

 

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民進党お得意の批判・バッシングの嵐。

 

勝負に出た代表が結果責任を問われるのは当たり前の話。しかし、9月28日の両院議員総会で拍手をもって(しかも満面の笑顔で)満場一致で決めた側の責任はないのかということである。

 

両院議員総会に出席したのは、党所属の現役国会議員のみの100名ほど。圧倒的多数の新人・元職の公認候補は、ただ結果を知らされただけ。後になって、「あの時、私は(賛成の)拍手はしていない」と言う議員が少なからずいたが、とても見苦しい。

 

本当に反対なら、大声で反論すべきであったし、党全体の行く末に関わる問題なのだから、身体を張っての行動もありえただろう。出席をし、議決権を持つ人間の責任はどこにいったのだと言いたいわけである。

 

惨憺たる結果なのだから批判の大合唱になるのも仕方がないことかもしれない。でも、党議決定に関わった全員が、その結果責任を負うことへの自覚が見られない。あるいは、部分的であっても代表の判断を擁護したり、労をねぎらうこともしないのはなぜなのか。

 

批判に始まり、批判に終わり、それが憎悪・怨念へ深化する。そうやって歴代の代表を消耗品のごとく扱って、表舞台から追放していった歴史が民主党・民進党ではないのか。

 

大きな責任を負わせるだけ負わせておいて、結果が出ないと吊し上げ、追放する。こうしたことの繰り返しだから、国民は振り向いてくれないことがわからないのだ。

 

自民党も大いに議論している。かつては、灰皿が飛び交ったこともあったそうだ。ただ、彼らは批判はしても、着地点、合意を前提にしている。

 

声高に異論・反論を唱えても、それが大勢にならないとわかると、自らの考えに少しでも近い結論になるようにしていく。これがいいのか悪いのかはわからないが、1つの政党文化であろう。

 

2017年末のテレビの討論番組で、大塚耕平・民進党代表は「歩み寄り」の精神を強調していた。

 

そして、2018年2月の民進党大会では総括文書に、希望の党への合流の判断は「国会議員すべての責任」と明記した。

 

少しは光明が見えかもしれない。

 

*追記*

この手記は今回をもって終了とします。

以降は、ふんわりとしたブログになっていくことになります。

なお、『我が敗戦記』は、本サイトの運営者の知人からの寄稿です。よって、本サイト運営者とは別人が執筆したものであることを強調しておきます。